日本ではほとんどの女性が子供の頃持っていたのは、このリカちゃん人形でしょう。姪の娘の小学二年生の子も持っています。クリスマスにリカちゃんハウスを買わされました。(笑)
リカちゃんと売り上げを二分するのというよりは、もう少し売り上げは落ちるのでしょうが、アメリカのバービー人形があります。
玩具売り場でこの二つを見比べてみると、まさに日本の漫画の画とアメリカンコミックの画を見るようです。あるいは日本のアニメとキャラとディズニーアニメのキャラの違いを見るようです。
アメリカのはディフォルメされているとはいえ、日本に比べたら、顔がかなりリアルです。日本のリカちゃん人形のほうは、もう漫画アニメの世界の住人という感じで、ディフォルメというより新たに創造された顔の造形です。
バービーに似た白人女性はきっと居ると思いますが、そのままリカちゃんに似た日本女性は居ないと思います。
あんなまん丸な目をした人間は居ないということです。(笑)
でも、リカちゃんの顔が感じさせる雰囲気の人は居ます。
アメリカンコミックやディズニーアニメのキャラは実際の人間の外見に似せようとしていますが、日本のアニメ、漫画ほうは人間の持つ性格や人間性を表現しようとして作られた独特の顔です。
欧米の日本のアニメや漫画好きの人は、自分達の国のアニメや漫画と違い、日本のアニメや漫画は、登場人物の内面性を感じさせてくれるところが好きだと言います。
ここに、美術というジャンルの抱えている秘密があると思います。いくら写実的に描いたとしても、その外部の形を描いただけで、その内面を描写するのは,難しいということです。そこで、反則とも言える日本的な極端なディフォルメがあります。自然界には絶対存在しないような、人間の顔を作り出すことで、その内面を表現しています。
それは顔や目や鼻などの極端な簡略化ということです。簡略であるので、線の曲げ方一つで、表情が変わります。
確かに、バービーよりも、リカちゃんのほうがその奧の優しさとか、清楚さを感じさせてくれます。あの漫画顔によってです。
江戸時代の人形
高橋克彦という作家の作品で「ドールズ 闇から来た少女」という題名の小説があります。小学生低学年の女の子に江戸時代の人形師の霊が憑依するという話です。
この人形師が実は幕末から明治にかけて実在した人形師松本喜三郎という人なのです。喜三郎は「生き人形(活人形)」の制作者です。
「生き人形(活人形)」とは等身大の超リアルな人形です。どういものかというと、蝋人形のような写実的な人形です。
「西国三十三ケ所霊験記」などのようなシリーズもので、何体もの人形を使い一つのストーリー表現していました。いわば、絵巻物の実写版的なものです。
江戸時代の職人の技術の巧緻さは当時世界水準をも越えていたのではないかと思ったりします。
江戸時時代は300年もの間、戦争のない平和が続いたので、あらゆる工芸美術やさまざま文化的産物が煮詰められていって結晶化したような時代だったのではないでしょうか。 農業においては、米と野菜の品種改良が進み、ほぼ現在あるものは全て江戸時代に作り出されたものだといいます。
数学においても、和算において西洋の数学と同じレベルまで達していました。
さてこの小説のように、人形師喜三郎が現代に蘇って、秋葉原のフィギュア文化を見たらどう思うのでしょうか。
フィギュアとはご存じのように、マンガやアニメの登場人物を三次元の人形として作ったものです。その体はリアルなのですが、顔が二次元のマンガ、アニメの形態のまま立体化されており、実際には生物の人間としては絶対にあり得ないような顔なわけです。
喜三郎は案外、
「やられたぁ! こんなやり方もあったのか。しかしちょっとズルイ」
と舌を巻くんじゃないいかと思います。
この天才には、よりリアルに表現しようとすると、逆にその物の表面的な形態を離れていかねばならないという、技巧上の秘密はよくわかっていたのではないかと思うのです。
でも、それでは容易すぎるのであえて、現実にある形姿に限りなく近づけて行くことで、その物の内部をも表現しようとしたのではないかと思うのです。
「やられた! しかしこりゃ反則だよ!」
と喜三郎は苦笑いすると思うのです。
呪術と人形
以前陰陽師ものがブームだったことがありました。マンガやアニメでも陰陽師を主人公にしたものがいっぱい出ていました。
このブームの火付け役は、夢枕獏という作家の「陰陽師」という小説からだったと思います。これは平安時代の陰陽師(呪術を行う者)の安倍晴明を描いたものです。
このブームの極めつけは、テレビで陰陽師なる一見神社の神主風の人が現れて、人に乗り移った死霊を追い払うとかいうのをドキュメンタリー風にやっていたことです。あれはおかしくて仕方ありませんでした。テレビ局の仕込みであるのが見え見えの演出でした。(笑)
さて、夢枕獏の「陰陽師」のほうは、漫画にも実写版の映画にもなっていました。この映画を見た人なら覚えておられると思いますが、安倍晴明は紙を人の形に切り抜いたものを「式神」という自分の手先として人間の体にして使っていました。
こういう人間の体にまでするようなことは、まぁ幻覚を見せたということでしょう。
でも、この人型はいまでも「形代」と言って、神社などのお祓いで自分の罪汚れをこの紙の人形に移し替えて、それを川に流して捨て去るというような儀式に使われています。
たぶん、この紙を切り抜いた人形は古代より、そういうふうな自分の悪いものを移し替えて捨てるという使い道をされいたのでしょう。
天児(あまがつ)とか這子(ほうこ)という布で着物を着せたもう少しリアルな人形があって、子供の枕元に置いたり子供に抱かせて、子供に対する厄災を人形のほうに受けさせて、子供を守るという風習があったようです。
それ故人形には、子供の遊び道具であるのと、呪術に使われる用途のものがあったわけです。恐いのは人に呪いをかけるのに使われもしたことです。
丑の刻参りという呪いで使われる藁人形に、夜中に神社の木に釘で打ち込むというやつです。
西インド諸島のハイチのブードゥー教の呪いの人形というのも有名ですね。でも、最近ではそういう人形が土産物になっているらしいです。